どうも!全力20%のヒューです!
DAY49
Daytonを出発後、次の大きな目的地はCincinnatiという街で、オハイオ州、ケンタッキー州、インディアナ州の3つの州がぶつかる所に当たります。
CincinnatiにはUniversity Of CincinnatiのCCMという有名な音大があり、僕らが大学1年生だった時に教えてくれていた先生が今はこの学校で教えているとのためその大学と先生を訪れに行くことに。
距離的には78マイルということで2日に分けて向かいます。
DaytonとCincinnatiはアメリカでも5本の指に入るほど治安(ドラッグ)が悪いエリアとして知られているそうなので、前もってWarmshowersで泊めていただける方を見つけた上で出発。
出発して間も無くするとLittle Miami River(リトルマイアミリバー)という川があり、日本の玉川沿いを走っている感覚に似てるなーって感じでした!
因みに後で知ったのですが、「マイアミ」という名前はNative Americanの民族の名前だったそうです!このTrail沿いにはマイアミ族に関係する歴史も巡れるようになっているそうです!
残念ながらその歴史を見る前にTrailから離れることに。
この日も31度という暑さだったため木陰で休憩しながら進みます。
オハイオ州でよく見かけるこの木、とても不思議な形をした実がいっぱい落ちてました!
夜はホストの家で、Youtubeを更新!
そしてお庭でテントさせていただきました!
ニューヨークの時のお話ですがお時間ある時に見てみてください!
DAY50
いよいよシンシナティに向けて出発!
と思いきや、どうやら先生の家はシンシナティを超えたケンタッキー州側にあるらしい!
ってわけで、まず通り道にあるUniversity Of Cincinnatiへ!
Man! Cincinnati has a lots of hills!!
これは長い山を登って疲れ切ったJayと後ろの自転車の壁画。この日もなかなか暑い上に登り坂が多くきつめな1日でした。
大学に近づくにつれ、少しずつWall Artが増えていきます。
大学に辿り着いて最初に目に入ったのがスタジアム!
そしてその真横に音大!
とても大きく綺麗なキャンパス!
スタジアムは予約さえすれば誰でも使えるそうです!
カレッジラジオもあるので行ってみましたが、CDを聞いてから放送するか決めるということで、飛込み出演は出来ず。残念。
Cincinnatiという街は歴史もある街で、1800年代にはニューヨークシティと同じくらいの大きい都市だったそうです。
山と山の谷間にある街で、坂だらけ。
ケンタッキー州とはOhio Riverという川を挟んで別れています。
そんなわけで、ケンタッキー州にはフェリーで突入します!!!
ここから先は南北戦争でいうと南に入ります!
当時、北と南はこのOhio Riverで別れていたそうです!
次の写真で川を挟んだところに見えるのはオハイオ州!いよいよケンタッキー州に入りました!
あっという間に渡れてしまいましたが、さっきまでいたところが北(奴隷反対派)で今いるのが南(奴隷賛成派)と思うと近いようで遠い、不思議な境界線です。
ケンタッキー州に入ると景色はだいぶ変わります!さっきまでは都会でしたが完全に田舎!
オハイオ州の後半、シンシナティの直前までは平坦で遠くまで空が見えましたが、ケンタッキー州に渡ると完全に山だらけ!見かける木の種類も変わって来ました!
ケンタッキー州の山はめっちゃ急&長いです!
夜は先生と先生のご家族にお世話になりました。
先生の家には2泊させていただくことに。
DAY51
この日はJayとは別行動。
朝、先生と一緒に車でCincinnatiに行き、先生が仕事している間、前に船で働いていた時の仕事仲間と会うことに!
シンシナティにはドイツ人移民が多く住んでいるそうで、このお店ではクラフトビールのメニューが4ページもありました(><)ぶっちゃけどれ選ぼうか悩んだ末ウェイターからのオススメでこちらに。
彼女とはアートギャラリーの研修が一緒だっただけで違う船で働いたため、お互いの船旅トークをしながら今後どうするの?的なお話をしました。
いやーとりあえず当分は旅し続ける予定です!
彼女とお話後、Underground Railroad Freedom Centerという博物館に行ってきました。
Cincinnatiは、南北戦争が始まる前、南から逃げてくる奴隷たちがOhioRiverを渡れるように密かに助けていたこと(UndergroundRailroad)でも有名な街だそうです。
博物館の中は奴隷の始まりから、奴隷の主な理由、当時の生活から南北戦争に至るまでと終焉などの展示がされていました。
とにかく読む量が半端なく多く、普段から英語の本を読む人なら情報収集たくさんできたのでしょうが、残念ながらあまり吸収できず。
ところが運のいいことに、テキサス州の教会グループがガイドツアーをちょうど始めるタイミングと重なり、ちゃっかりそこに混ざらせていただくことに!
下の写真の黄色い州たちが北、緑の州たちが南、赤い州たちは西で南北戦争の時代にはあまり関わりのない州たち。
このUnderground Railroadでは南にいた奴隷たちを北に行けるように川を渡るのを手伝っていましたが、奴隷たちにとって川を渡ったら助かったーと安心できるわけではなかったようです。
川を渡ってもその時に逃げたことが領主にバレれば領主たちはケンタッキー州から馬でオハイオ州に渡り探しに来ます!
当時奴隷は領主の持ち物(資産)として扱われていたため、北で匿っているのがバレれば盗人とされ、匿う側も大変だったそうです。
ということで奴隷たちの本当の目的地は国外にあたるカナダだったとのこと。
(中にはメキシコに逃げた人たちもいたそうです。)
カナダに渡れたら安心なのかというと結局そんなこともなく、再び誘拐されアメリカに戻された奴隷もいたとのこと。
当時、「奴隷反対!」といった記事を書いた場合、筆者も新聞社も家に火を点けられたり殺されてしまったり、ただでは済まなかったそうです。
そしてこれは南だけではなく、北も同じだったとのこと。
北も奴隷で稼いだ経験があるため、こういった記事は危険だったそうです。
当時アメリカは北と南で奴隷の数も大きく異なり、北だとニューヨーク州が多い方で州人口のうちの12%が奴隷だったとのこと。
そのほかの州は2%だったり3%だったり、、逆に南ではVirginia州が42%、Maryland州が32%、ジョージア州が45%、1番多かった州がサウスカロライナ州で61%!
当時、各州が集まって人口をどう数えるかと話し合った際に奴隷を数に含めるか含めないかという議論がされ、もし奴隷を数えるとすれば、北は圧倒的に不利、政治的な力を持つのは南になるのが目に見えていました。そこでThree-Fifthという、奴隷5人で一般人3人分の投票権という考え方が生まれたそうです。
そして後に奴隷反対派であったリンカーンが大統領に就任すると、多くの南はアメリカ合衆国から脱退する!と宣言し、アメリカ国内で国の二分化の動きが発生。そして南北戦争の流れになっていきました。
だいぶはしょりましたし、学校の勉強をちゃんとした人であれば大した知識ではないですが、南北戦争の復習。
ケンタッキー州はその中でもBoader states(境界州)と呼ばれる州の1つで、奴隷州ではあったのですが、脱退は宣言しなかった州だったようです。
境界州は北とも南とも交流があり、政治的にも重要な場所であったとのこと。
ということで、ケンタッキー州は南でありながら南であらず、だけど奴隷州であったため北でもあらずという不思議な立ち位置。
ケンタッキー州の人々はケンタッキー州を南だと言うかもしれないが、果たしてケンタッキー州より下に当たるテネシー州やアラバマ州、その他の脱退を宣言した南の州たちはケンタッキー州は南と呼ぶのだろうか。
これについては、今後もう少し学びたいと思います。
このNational Underground Railroad Freedom Centerでどれだけ学べたかは微妙なところですが、勉強するキッカケとして、これから本格的に南に突入する前に寄って見れてよかったです。
この日はこの博物館見学を終えて、先生の家に戻ってお休み。
それではまた。